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「謎深き庭─龍安寺石庭」を巡る「五十五の推理」を紹介していきます。

謎解き庭 龍安寺石庭

謎解き庭 龍安寺石庭
「秘密の構図」を発見する
01「龍安寺智恵の板」説
……親板と子板がつくる「美のアンサンブル」
01「龍安寺智恵の板」説

十五の石を配置する基準になった「美的秩序」、柔らかく表現すると「秘密の構図」問題は、多くの識者を泣かせてきた難問である。これまでに星座カシオペヤ、扇、尺モジュール、カネワリ、黄金比など、多数の説が提唱されてきたが、いずれも核心には迫れなかった。中には、実際には成立し得ない黄金比研究のため、ほぼ一生を費やした研究者も存在する。

 

その「秘密の構図」を、初めて明らかにしたのが「龍安寺智恵の板」である。ただし、この智恵の板を石庭の作者がつくったのか、それとも誰か別の人がつくった智恵の板を石庭に応用したのか、などの詳しい事情は分からない。

 

このとき気になるのは、寛保二年(一七四二)発行の書籍『清少納言智恵の板』(含霊軒序、京都書肆)により、初めて広く紹介された「清少納言智恵の板」との関係である。

一。「龍安寺智恵の板」とは何か?

 

二。「龍安寺智恵の板」は誰がつくったのか?

 

三。「清少納言智恵の板」はいつつくられたのか?

 

四。「龍安寺智恵の板」は「清少納言智恵の板」の影響を受けているのか?

「秘密の構図」を発見する
02「石隠し」説
……「陰の主役」は十五番石
02「石隠し」説

石庭には十五の石が配置されている。これを、方丈の縁側から眺めると、何個かの石は必ず手前の石に隠れてしまうため、「石隠しの庭」と呼ばれている。

 

なかでも終始一貫して見えにくいのが、西端に位置する十五番石である。石庭の「陰の主役」というべきこの石は、多くの説を生み出すきっかけになった。

 

一。そもそも、なぜ石を隠さなければならないのか?

 

二。見えない石の数については諸説があるが、なぜ意見が分かれるのか?

 

三。見えない石があるのは偶然? それとも作者の意図?

「虎の子渡し」の暗号を解く
03「虎の子渡し」説
……難攻不落の「日本の謎」
03「虎の子渡し」説

十五の石を、虎が子を連れて川を渡る姿、に見立てる。龍安寺といえば「虎の子渡し」。知名度は抜群である。その根拠になるのは、中国の古書『癸辛雜識』に記載された、四匹の虎(親・子・子・彪)が川を渡る姿を描写した、「虎の子渡し」の説話である。

 

しかし、説話と十五の石を比較すると、途端に訳が分からなくなる。そのため、数百年にわたって「日本の謎」とされてきた。

 

一。説話は親虎と三子で計四匹なのに、石庭にはどうして石が十五もあるのか?

 

二。説話は四匹なのに、石組はどうして五つあるのか?

 

歴史が教えるところによれば、古くから残る伝承の背後には、驚くような事実が潜んでいることが多い。

 

三。「虎の子渡し」の背後にも、「何か」が潜んでいるのではないか?

「虎の子渡し」の暗号を解く
04「地の虎・天の龍」説
……「虎の子渡しの庭」と「群龍雲隠れの庭」
04「地の虎・天の龍」説

名は体を表すという。大雲山龍安寺という名前の中には、雲の字と龍の字が記されている。それなのに、なぜ「虎の子渡しの庭」があって、「龍の庭」がないのか。

 

この難問を解くためには、発想を根本的に改める必要がある。そもそも、「虎の子渡しの庭」と呼ばれるからには、虎の親子(親・彪・子・子)は実際に川を渡ったのではないか──。こう仮定して推理を進めた結果、姿を現したのが「群龍雲隠れの庭」である。

 

一。「虎の子渡しの庭」の名前は中国の古書『癸辛雜識』に由来する。それでは、「群龍雲隠れの庭」の名前は何に由来するのか?

 

二。この庭が、「群龍雲隠れの庭」ではなく、「虎の子渡しの庭」と呼ばれる理由は何か?

 

謎はさらに深い。英国ヨークの修道院学校で学び、フランク王国のカール大帝に招かれてサン・マルタン修道院の院長を務めた神学者、アルクイン(七三五?─八〇四)の著書『青年達を鍛えるための諸命題』には、世界最古とされる四問の「川渡り問題」が掲載されている。しかも、そのうち一問の「川渡り」の方法が、癸辛雜識とほぼ同じ内容である。

 

三。アルクインの「川渡り問題」と、癸辛雜識の「虎の子渡し」には、関係があるのか?

「虎の子渡し」の暗号を解く
05「南禅寺との競作」説
……「虎の子渡し」二庭の共通点
05「南禅寺との競作」説

龍安寺石庭にある「虎の子渡しの庭」と、南禅寺本坊方丈庭園にある「虎の子渡しの庭」を、お互いに競い合う作品と見る。

 

南禅寺「虎の子渡しの庭」の作者は、江戸初期の大名、茶人、建築家、造園家の小堀遠州。彼はまた、龍安寺「虎の子渡しの庭」の作者である可能性もある。

 

大雲山龍安寺は臨済宗妙心寺派に属している。これに対して、瑞龍山太平興国南禅禅寺は臨済宗南禅寺派の本山であるだけではなく、五山制度では「五山之上」に位置づけられ特別の格式を誇っていた。

 

一。二つの庭が競い合う理由は、両者に共通する名前にあるのだが、その名前は何か?

 

二。二つの庭は、一体、何を競い合っているのか?

「七五三」の暗号を解く
06「七五三」説
……すり替えられた「ターゲット」
06「七五三」説

十五の石は、東側から〔五石〕〔二石〕〔三石〕〔二石〕〔三石〕と、五つの群に分かれて並ぶ。このうち最初の〔五・二〕を足して〔七石〕、次の〔三・二〕を足して〔五石〕、最後をそのまま〔三石〕と、三つの群れに組分けし直して、「七五三の庭」に見立てる。「虎の子渡し」と並んで知名度は高い。

 

しかし、不可解な点があるため、「虎の子渡し」と並んで「日本の謎」とされてきた。

 

一。七五三を表現したいのなら、なぜ最初から〔七石〕〔五石〕〔三石〕と配置しないのか?

 

二。本来は「五二三二三の謎」だったのが、何か理由があって、「七五三の謎」にすり替えられたのではないか?

 

三。このすり替えは、禅宗三祖で達磨大師の孫弟子に相当する鑑智僧璨が『信心銘』で指摘した、「夢幻空花」に関わる問題ではないか?

「七五三」の暗号を解く
07 「七転び八起き」説
……垣間見える達磨の姿
07 「七転び八起き」説

東側から〔五石〕〔二石〕〔三石〕〔二石〕〔三石〕と並ぶ石のうち、最初の〔五・二〕を足して〔七石〕、次の〔三・二・三〕を足して〔八石〕と数え、「七転び八起き」に見立てる。

 

七転び八起きとは、人生の浮き沈みが甚だしい、度重なる失敗にも屈しないで奮起するなどの意味になる。これで連想するのは赤い色の人形、達磨である。達磨は倒れてもすぐに起き上がるように、底を重くした構造になっている。そのため七転び八起きの言葉とともに、江戸中期から全国に広まった。

 

一。この説は、「七五三の謎」を出発し、最終的には「五二三二三の謎」に至る、正しい道筋を暗示しているのではないか?

 

二。「龍安寺智恵の板」の「子板」のうち、一枚目に〔七石〕、二枚目に〔八石〕が含まれているのは、この「七転び八起き」に対応するためではないか?

「七五三」の暗号を解く
08 「五大・二大・三眼・二眼・三宝」説
……偽装された目標地点
08 「五大・二大・三眼・二眼・三宝」説

石庭に並ぶ〔五石〕〔二石〕〔三石〕〔二石〕〔三石〕を、禅宗の「五大・二大・三眼・二眼・三宝」に見立てる。これは、「七大・五眼・三宝」から派生した説である。

 

七大は「一切にあまねく満ちる七種の要素」、五眼は「認識の働きを眼になぞらえた五種の要素」、三宝は「仏と経典と僧を宝に例えた三種の要素」をいう。その数だけ見ると、一種の「七五三」になっている。

 

しかし、「五大・二大・三眼・二眼・三宝」説には不可解な点がある。

 

一。「七大・五眼・三宝」を、なぜ、わざわざ「五大・二大・三眼・二眼・三宝」に分解しなければならないのか?

 

この説は、「偽装された目標地点」へ誘い込もうとする、不可思議な説である可能性を否定できない。

「七五三」の暗号を解く
09「達磨大師に始まる法系図」説
……「禅が龍安寺に伝わる歴史」を暗示
09「達磨大師に始まる法系図」説

五組の石組を、〔七石〕〔五石〕〔三石〕ではなく、そのまま〔五石〕〔二石〕〔三石〕〔二石〕〔三石〕と受け止めると、最終的には「地の虎・天の龍」に匹敵する壮大な説が姿を現す。「達磨大師に始まる法系図」説である。

 

禅宗の基本は以心伝心と師資相承、すなわち師の心から弟子の心に直接、教えを伝えることをいう。そのため各宗派ごとに、歴代の禅師の名前を書き連ねた法系図が保存されている。

 

一。この石組は「禅が龍安寺に伝わるまでの歴史」を暗示しているのではないか?

 

石庭にある十五の石のうち、一番石から十四番石までは外国の僧に割り当てられ、最後の十五番石だけが日本僧に割り当てられる。

 

二。石庭の「陰の主役」というべき、十五番石に割り当てられた日本僧とは誰か?

「日本的発想」と「西洋的テツガク」
10「星座カシオペヤ」説
……競い合う「二つのM字」
10「星座カシオペヤ」説

五つの石組を「星座カシオペヤ」、白砂を「天の川」に見立てる。カシオペアは五個の三等星β、α、γ、δ、εから構成され、北極星から見るとMの字、反対から見るとWの字を描く。

 

一。龍安寺石庭になぜ、カシオペヤが描かれたのか?

 

二。「カシオペヤ」→「碇星」→「碇」→「和船」という連想の先には何があるのか?

「日本的発想」と「西洋的テツガク」
11「朱山五陵」説
……源氏物語ゆかりの天皇陵
11「朱山五陵」説

五つの石組を、龍安寺北側の「朱山」にある、一条天皇、後朱雀天皇、後冷泉天皇、後三条天皇、堀河天皇が眠る五つの御陵、すなわち「朱山五陵」に見立てる。

 

一。この説は、「地の虎・天の龍」説の根拠になるのだが、それはなぜか?

 

二。この説は、「源氏物語を彩る十五人の女君」説の根拠になるのだが、それはなぜか?

「日本的発想」と「西洋的テツガク」
12「扇」説
……「過去の扇」と「現在の扇」
12「扇」説

石組を「扇」に見立てる。扇の角度は円を三等分した、中心角百二十度前後のものが主流。これに対して、石庭の石組は中心角九十度の扇面に収まる。

 

一。「過去の扇」とは、何を意味しているのか?

 

二。「現在の扇」とは、何を意味しているのか?

「日本的発想」と「西洋的テツガク」
13「心の字」説
……以心伝心を文字で表現
13「心の字」説

五つの石組を漢字の「心」に見立てる。禅宗は、仏の教えや悟りの内容を、師の心から弟子の心に直接伝える、以心伝心を重んじた。一題の公案を携えて、この庭に臨んでみよう。問「石庭に心があるかないか」。

 

回答その一「有心」──。一般には深い心がある、優美な心がある、人情があるなど肯定的な意味になる。けれども仏教では、ものにとらわれた心、妄心(迷いの心、誤った心)など否定的な意味になる。

 

回答その二「無心」──。一般には深い心がない、優美な心がない、人情がないなど否定的な意味になる。けれども仏教では、ものにとらわれない、素直、虚心など肯定的な意味になる。

 

一。石庭の「心の字」は、有心と無心のうち、どちらを意味しているのか?

「日本的発想」と「西洋的テツガク」 
14「京都盆地を囲む五山」説
……東山・男山・双ヶ丘・西山・北山
14「京都盆地を囲む五山」説

五つの石組を、京都盆地を囲む東山・男山・双ヶ丘・西山・北山になぞらえる。これには、「現実の五山の庭」と「仮想の五山の庭」の二説がある。

 

中国では古来、陰陽五行説の影響で泰山(東岳)・華山(西岳)・衡山(南岳)・恒山(北岳)・嵩山(中岳)の五岳を崇拝してきた。その京都版が「現実の五山」説。

 

これに対して、庭園研究者の大山平四郎氏は、「五山の風景を単純に写した庭ではなく、現実には存在しない仮想の五山」と提唱した。これが「仮想の五山」説である。

 

一。「現実の五山」と「仮想の五山」のどちらが正しいのか?

「日本的発想」と「西洋的テツガク」
15「人間の生涯」説
……ゲーテ形態学で石組を観察
15「人間の生涯」説

ゲーテ形態学とは、ドイツの作家・哲学者のゲーテが提唱した、「形態を正確に観察し、そこから高次の経験を導き出そうとする」方法である。

 

シュタイナー教育の専門家である森章吾氏が、そのゲーテ形態学を応用。五つの石組を、「誕生、若さ、円熟、死、転生」の五段階から構成される「人間の生涯」に見立てた。

 

一。死に続く転生を表現しているのはどの石組か?

「日本的発想」と「西洋的テツガク」
16「五群理想」説
……米国人による陰陽五行的思考
16「五群理想」説

アメリカの芸術家ウィル・ピーターソンは、「一つの石組からは何も生まれない。二つの石組も十分ではない。三つの石組は深みが感じられない。四は二を二重化しただけに過ぎない。しかし五つの石組は理想的である」とした。

 

一。五つの石組はなぜ理想的なのか?

「日本的発想」と「西洋的テツガク」
17「静と動の秩序」説
……研究者ロレーヌ・カックの明察
17「静と動の秩序」説

研究者のロレーヌ・カック(Loraine Kuck)は、昭和初期(一九三〇年代)に日本に滞在。『京都百名園』や『日本庭園の芸術』などの著書(英語)を残した。

 

彼女はまた石庭の石組をテツガク。「二つの非対称がもたらす対称性により、静的な秩序が生まれている。非統一がもたらす統一性によって、動的な秩序が生まれている」とした。

 

一。二つの非対称がもたらす対称性とは何か?

 

二。非統一がもたらす統一性とは何か?

「あの手この手」の構図探し
18「尺モジュール」説
……石組の基準寸法に注目
18「尺モジュール」説

モジュールとは「基準寸法」の意。和風建築の場合には、畳の寸法を目安にして、縦および横方向とも三尺(約九十一センチ)をモジュールとする例が多い。

 

一。石庭は「尺モジュールの庭」なのか?

 

二。「尺モジュールの庭」であるとしたら、基準寸法は何尺か?

「あの手この手」の構図探し
19「カネワリ」説
……茶道の技法を適用
19「カネワリ」説

茶道では「カネワリ」と呼ばれる手法が使われる。カネワリは漢字で書けば「曲尺割、矩尺割」。カネとは「基準線」、カネワリとは「四角形を基準線で分割する行為」をいう。

 

一。石庭は「カネワリの庭」なのか?

 

二。「峯摺り、鉾外し」の手法は使われたのか?

「あの手この手」の構図探し
20「視野六十度」説
……自然な静視野に着目
20「視野六十度」説

石庭ではかつて解説用の音声テープが流されて、方丈前面にある縁側の西から鑑賞することを勧めていた。そして、その背景には「視野六十度」説があったとされる。

 

一。「視野六十度」説とは何か?

 

二。自然な静視野とは何か?

「あの手この手」の構図探し
21「鈍角不等辺三角形」説
……生け花の「真・副・体」を応用
21「鈍角不等辺三角形」説

十五の石は、「生け花の真・副・体から派生した、鈍角不等辺三角形の技法により配置された」とする。筑波大学の蔡東生准教授など六人の研究者が二〇〇九年に提唱した。

 

一。「鈍角不等辺三角形」の庭とは何か?

 

日本造園学会や日本都市計画学会の会長を歴任した造園学者の進士五十八氏は、著書『日本の庭園』において、庭園の植栽には「真・副・対・控・前置・見越」の技法があると記述。さらに「真副対」は植栽の中心となる「三角形」、「控・前置・見越」は「真副対」を引き立てるための補助的な「三角形」に相当すると説明した。

 

二。石庭に使われた技法は、生け花の「真・副・体」ではなく、庭園植栽の「真・副・対・控・前置・見越」という可能性はないか?

「あの手この手」の構図探し
22「中心軸の法則」説
……英国の科学誌『ネイチャー』に発表
22「中心軸の法則」説

京都工芸繊維大学のハルト・ヤコベス・バン・トンダ准教授など三人の研究者が石組の「中心軸」を発見。世界的な影響力を持つイギリスの科学雑誌『ネイチャー』に、二〇〇二年に発表し、わが国の新聞各紙もこぞって取り上げた。

 

一。石庭の作者は、設計に際して、中心軸を意識したのだろうか?

「あの手この手」の構図探し
23「驚きの白銀比」説
……西洋と東洋、二つの白銀比
23「驚きの白銀比」説

 石庭の短辺と長辺の比は、約「1対2・4」になる。

 

一方、黄金比(第一貴金属比)、白銀比(第二貴金属比)が成立する各長方形では、「短辺と長辺の比」は、黄金比で「1対1・618」、白銀比で「1対2・414」となる。

このうち白銀比の「1対2・414」という比率は、石庭の約「1対2・4」に極めて近い。つまり石庭の輪郭は、ほぼ「白銀比長方形」と見なすことができる。

 

ややこしいことに、「白銀比」には、貴金属比に由来する西洋白銀比と、日本古来の大和白銀比がある。両者は数学的に以下の関係にある。

 

西洋白銀比長方形=正方形+大和白銀比長方形。

 

一。石庭の作者は、西洋白銀比長方形と大和白銀比長方形のうち、どちらを基準にしたのか?

「あの手この手」の構図探し
24「幻の黄金比」説
……イリュージョン(錯覚)の深い海
24「幻の黄金比」説

石庭の輪郭は、短辺と長辺の比が西洋白銀比の「1対2・414」に近い。これに対して黄金比は「1対1・618」。すなわち石庭は「黄金比の庭」ではあり得ない。

 

しかしながら、石庭を「黄金比の庭」とする意見が絶えることはない。これを「幻の黄金比」説と名付ける。

 

一。「幻の黄金比」説に使用された、「錯覚手法一(小黄金比長方形を添える)」とは何か?

 

二。同じく、「錯覚手法二(小正方形を添える)」とは何か?

「あの手この手」の構図探し
25「遠近法」説
……「遠小近大」で空間に奥行き
25「遠近法」説

石庭を囲う塀は遠近法「遠小近大の手法」で設計されている。これは、遠いものを実際より小さく描き、近いものを実際より大きく描くことで、空間の奥行きを深く見せようとする手法である。また、庭石も「遠小近大の手法」で配置されている

 

遠近法は東洋と西洋でそれぞれ発達した。東洋の技法は飛鳥時代、西洋の技法は桃山・江戸末期・明治の各時期に日本に伝来したといわれる。

 

一。石庭の設計に採用された遠近法は、東洋と西洋、いずれの技法なのか?

「あの手この手」の構図探し
26「山水画の平遠法」説
……近山から遠山を見る技法
26「山水画の平遠法」説

石庭の石組は「近山から遠山を俯瞰する、山水画の平遠法により配置された」とする。山水画には六遠、すなわち高遠、深遠、平遠、闊遠、迷遠、幽遠という、六種類の技法がある。南九州大学の関西剛康教授が二〇〇六年に提唱した。

 

一。石庭の作者が平遠法の参考にした山水画は何か?

石の存在感
27「律呂の法則」説
……石の「陰・陽」を観察
27「律呂の法則」説

石庭の石組は、庭園書の古典『作庭記』が説く「律呂の法則」に従って配置されたとする。律呂とは、陽陰・天地・男女のように、二タイプに分かれる集合を意味。律が陽・天・男とすれば、呂は陰・地・女になる。庭園研究者の大山平四郎氏が一九七〇年に提唱した。

 

一。作庭記の「傾く石があれば、支える石があり」の教えに添う石は何群か?

 

二。同「立つ石があれば、伏せる石がある」の教えに添う石は何群か?

石の存在感
28「気韻躍動」説
……石の「縦・横・斜め」を観察
28「気韻躍動」説

石庭に並ぶ十五石の形を見ると、「縦・横・斜めに分かれ、全体として活気があふれ、気韻躍動の趣がある」とする。気韻躍動は東洋画に用いられる技法で、別に気韻生動ともいう。造園家の齋藤勝雄(一八九三〜一九八七)が一九二三年に提唱した。

 

一。一見すると、四群の十一番石は横、十二番石は縦に見える。これを「気韻躍動」説では、どのように判定したか?

石の存在感
29「楽譜」説
……世界的音楽家ジョン・ケージの破天荒
29「楽譜」説

米国の作曲家ジョン・ケージ(一九一二〜九二)は、石庭に並ぶ十五の石が発する音を聴き取って、それを楽譜に変換。「龍安寺」という題名を持つ音楽を作曲した。

 

ケージは作曲家・詩人・思想家・キノコ研究家として、二十世紀の前衛芸術の世界を横断。特に実験的で偶然的で不確定的な音楽は、音楽界に大きな影響を与えた。

 

一。同氏は十五の石が発する音を、一体、どのようにして聴き取ったのか?

 

答は、グーグルで「Cage,Ryoanji」と画像検索して、楽譜「龍安寺」を見ると理解できる。また、音楽「龍安寺」は、ユーチューブで「Ryoanji,Hommage,Cage」と検索すれば視聴できる。演奏時間は各種あるが、聞きやすいのは二分四十秒の作品。

石の存在感
30「石より砂」説
……作家竹山道雄の視点
30「石より砂」説

この庭は多くの石庭(いしにわ)の中で、唯一、石庭(せきてい)という固有名詞を持つ。けれども、小説『ビルマの竪琴』で知られる作家の竹山道雄(一九〇三─八四)は、石庭の主役を「石より砂」と考えた。

 

さらに、「石はただ点として作用し、その配置のよさによって、白い砂地を一つの超越的な境地と化して、われわれの魂に伝える」と記し、石庭を松尾芭蕉のある俳句に例えた。

 

一。竹山道雄が例えた芭蕉の句は何か?

 

答は「古池や蛙飛び込む水の音」、および「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」。

石の存在感
31「苔庭への変容」説
……ジョン・ケージのリゾーム的発想
31「苔庭への変容」説

作曲家ジョン・ケージは、石庭の石をドローイングおよび版画に描いた、「龍安寺シリーズ(Rシリーズ)」と名付けた作品を残した。このRシリーズを、フランスの音楽家ダニエル・シャルルは、石組の足元に生えた苔を連想させるとして「リゾーム的」と評した。

 

一。石がなぜ、苔を連想させるのか?

 

答は、グーグルで「Cage,Ryoanji」と画像検索して、「Rシリーズ」を見ると理解できる。

石の存在感
32「石省くべし」説
……俳人山口誓子の感慨
32「石省くべし」説

俳人の山口誓子(一九〇一〜九四)は、十五の石を前にして、大胆にも「石省くべし」と詠んだ。

 

「寒庭に 在る石更に 省くべし」 。

 

一。彼が、「省くべし」と考えたのは、どの石なのか?

 

山口誓子には「龍安寺」の前書きを持つ別の一句がある。「石庭の 不可解縁に 昼寝の徒──石庭を見ても、何を意図しているか不可解だったことが縁になって、方丈の縁側で昼寝をはじめた人がいる」。

美は白砂にあり
33「箒目で描かれた波紋」説
……穏やかな「さざ波」で美的効果 
33「箒目で描かれた波紋」説

石庭に敷かれた白砂には箒目で波紋が描かれている。さざ波を水平(横線)に描き、石組の周辺は渦で囲んだ文様である。ただし、庭の東西両端だけは、さざ波を垂直(縦線)に描いている。波紋は海や湖や川の波、雲や風の軌跡、天の河などに見立てられる。

 

一。さざ波は誰が描くのか?

 

二。さざ波はなぜ水平(横線)に描かれるのか?

美は白砂にあり
34「渦の論理」説
……流体力学によるシミュレーション
34「渦の論理」説

都市計画家で画家でもある山田雅夫氏は、一九九七年に、「龍安寺石庭に見る渦の論理」と題する作品を発表した。これは流体力学をベースにして、水流の中に物体を置いたとき、流れがどのように変化するのかをシミュレーションした図である。

石庭で白砂に箒目を描く場合、鉄製の砂熊手を使うため、「さざ波」や「渦」の線同士の間隔は必ず平行になる。これに対して、現実の波や渦、それにコンピューターでシミュレーションした波や渦は、線同士の平行を保てなくなる。すなわち、「渦の論理」を石庭に再現することは難しい。

 

一。石組を囲む波紋は、美的効果に加えて、別の役割を持つ。それは何か?

美は白砂にあり
35「白砂の情感」説
……歌人会津八一の感受性
35「白砂の情感」説

歌人の会津八一は、昭和十五年(一九四〇)十月、清水寺、銀閣寺、龍安寺を訪れた。清水寺や銀閣寺で詠んだ歌は、大勢の見学者がいて気になったためなのか、少し落ち着かない。それに対して、龍安寺では心に響く歌を残した。

 

彼はすべて平仮名を使い、語と語あるいは文節と文節の間を空ける、分かち書きで表現した。ここではそれを通常のスタイルに直して掲載する。

 

 

清水寺「観音の 軒の蔀の 白々と もの振りけらし 人の響きに」。

銀閣寺「案内者の 気疎き姿 目にありて しづ心なき 銀閣の庭」。

龍安寺「外庭の 柿の梢を 打つ竿の 響きも近し 白砂の上に」。

 

一。会津八一の歌は、石庭が枯山水という「枠」を超越した庭であることを見抜いている。なぜそう解釈できるのか?

美は白砂にあり
36「瞑想するための装置」説
……建築家磯崎新氏の視線
36「瞑想するための装置」説

映画作家の飯村隆彦氏と建築家の磯崎新氏は、平成元年(一九八九)、映画「間─龍安寺石庭の時/空間」を共同で制作。磯崎氏は詩(テキスト)で、「庭は瞑想のための装置である。空白を感知せよ、静寂の声を聞け、空虚の浸透を想え」とした。

 

「装置、空白、静寂、空虚」と並ぶ言葉の中で、気になるのは最後の「空虚」という単語である。これは、「内部に何もないこと」を意味、また「実質的な内容や価値がないこと。むなしいこと」の意味にもなる。

 

一。「空虚の浸透を想え」というテキストは、何を伝えているのだろう?

美は白砂にあり
37「空白を満たすエネルギー」説
……イメージを喚起する領域
37「空白を満たすエネルギー」説

白砂が敷かれたスペースに、「ある種のエネルギーが生まれて、空白を満たし、見る側のイメージを喚起する」と考える。エネルギーという言葉を、気と置きかえてもよい。

 

石庭と同じく画面を気が満たし、かつ「龍安寺智恵の板」と同様の手法で描かれた、水墨画の国宝がある。

 

一。その水墨画とは何か?

美は白砂にあり
38「無の爆発」説
……禅と宇宙論の共通発想
38「無の爆発」説

現代科学において、宇宙の始まりはビッグバンと呼ばれる大爆発であったとするのと同じように、禅の世界にも、「無がいきなり爆発する(驀然打発)」という考えがある。

 

石庭を一本の線で分割すると、庭は二つに分かれる。二本の線で分割すると、庭は三つに分かれる。分割する線を増やすと、ある段階で無がいきなり爆発し、石庭は不思議な見え方をする。まさしく「無の爆発」である。

 

一。宇宙科学が定義する無と、禅宗でいう無の共通点は何か?

 

答は禅宗の古典『無門関』の第一則「趙州の無字」に記されている。

美は白砂にあり
39「光の反射板」説
……電気がない時代の照明装置
39「光の反射板」説

電気がない時代には、龍安寺では庭に敷いた白川砂を太陽光の反射板として利用し、建物の室内を明るく照らす役割を担わせていた。

 

一方、夜の世界を支配していたのは、月光である。満月の光は石庭の白砂をほのかに輝かせ、白砂からの反射光を受けた油土塀の壁面は金色に照らされ、幻想的な光景を見せていた。

 

冬の満月の夜、月光による水平面照度は〇・二ルクス程度になる。

 

一。石庭中央の三群八番石にロウソクを灯したとすると、周辺の照度は何ルクスになるか?

 

答は一メートル離れた地点で数ルクス程度。石庭全体の気配が、かろうじて感じ取れる程度の薄明かりである。

満月を仰ぎ、西行を想う
40「満月を巡る」諸説
……十五夜月、十四夜月、十六夜月
40「満月を巡る」諸説

十五の石をそれぞれ十四夜月、十五夜月(満月)、十六夜月に見立てる。初めに満月の光を愛でる「十五夜月」説が誕生。続いて「十四夜月」説、最後に「十六夜月」説が生まれた。

 

「十五夜月」説が伝えたいのは満月を愛でる花鳥風月の心。また、「十四夜月」説が伝えたいのは、「満ちれば欠ける」運命を回避しようとする気持ちである。

 

一。「十六夜月」説は何を伝えたかったのか?

 

十六夜月が持つ「哉生魄」という聞き慣れない異名が手がかりになる。

満月を仰ぎ、西行を想う
41「西に向かう仮想の第六点」説
……画家北脇昇のベクトル感覚
41「西に向かう仮想の第六点」説

画家の北脇昇(一九〇一〜五一)は「龍安寺石庭ベクトル構造」と題する油絵を制作。五つの石組のさらに西側に、仮想の第六点を配置すれば、石組のバランスがとれることを暗示した。

 

一。仮想の第六点は何を意味しているのか?

 

第六点が西に向かおうとしていることが手がかりになる。

満月を仰ぎ、西行を想う
42「西行に捧げたオマージュ空間」説
……「春死なん」の情景を再現
42「西行に捧げたオマージュ空間」説

石庭を「西行に捧げたオマージュ空間」に見立てる。オマージュ(賛辞)はフランス語。尊敬する作家や作品にモチーフ(主題)を得て、新たな作品を創造して捧げることをいう。

 

西行(一一一八〜九〇)は平安後期の歌人。その歌には、桜を詠んだ作品が多い。宗教史学者の山折哲雄氏は、「花にあこがれ、花に狂った歌人」と評した。

 

「願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」。

 

一。西行と龍安寺には、どんな関係があるのか?

 

二。西行と石庭には、どんな関係があるのか?

わが君「細川京兆家」の記憶
43「君が代」説
……さざれ石、厳、苔
43「君が代」説

「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 厳となりて 苔のむすまで」。

 

庭に敷かれた白砂、白砂の上に置かれた石組、石組の足元を囲む青苔(青い苔)を、国家「君が代」に歌われた情景に見立てる。

 

国家「君が代」の原型は、延喜十三年(九一三)頃に完成した『古今和歌集』に、長寿を祝福する歌として掲載された。冒頭は「君が代は」ではなく、「わが君は」となっていた。

 

一。さざれ石(小石)は、どのようにすれば巌(岩)になれるか?

わが君「細川京兆家」の記憶
44「細川京兆家などの系図」説
……歴代十五人の鎮魂碑
44「細川京兆家などの系図」説

十五の石を、龍安寺を創建した細川勝元が属する、細川京兆家などの系図に見立てる。系図は「未来に向けた第一の系図」と「鎮魂のための第二の系図」の二種類がある。

「第一の系図」の末尾、十五番石に該当するのは龍安寺創建者の細川勝元である。一方、「第二の系図」の末尾、十五番石に該当するのは細川新宗家を途絶えさせてしまった細川元勝である。

 

一。十五番石が「勝元→元勝」と変化するのは、単なる偶然だろうか?

先達の奇想天外
45「豊臣秀吉石狩り」説
……茶道家田中仙樵の独創力
45「豊臣秀吉石狩り」説

石庭には初め、「盆庭を使ってデザインされたため九石しかなかったが」、「途中で豊臣秀吉の石狩りに会って庭から二石が持ち去られて七石になり」、「その後に八石が追加され」、「結果的に今見る十五石になった」とする。明治から昭和にかけて活躍した茶道家、田中仙樵(一八七五〜一九六〇)が提唱した。

 

盆庭とは、お盆の上に土・砂・石・苔・草木などを並べて、庭の景色をつくる伝統芸術である。

 

一。持ち去られた二石とは、どの石を指すのか?

 

二。秀吉は狩った二石をどこに持ち去ったのか?

 

三。後に追加された八石とは、どの石を指すのか?

先達の奇想天外
46「龍安寺と銀閣寺のハプニング満月」説
……細川勝元と足利義政の予想を超えた展開
46「龍安寺と銀閣寺のハプニング満月」説

龍安寺石庭の「満月」、および銀閣寺向月台の「満月」に関して、両庭とも、「盆庭を使ってデザインされ」、「当初案には共に満月がなかったが」、「思いがけないハプニングが生じたため」、「結果的に満月が組み込まれた」、と考える。

 

銀閣寺の方丈前庭には、銀沙灘および向月台と呼ばれる、白砂でつくられた大胆な造形物がある。このうち銀沙灘とは、銀の沙(砂)で表現した灘(荒海)を意味。白砂を六十五センチの高さに盛って、箒目で波紋を描き、湖・荒海・天の川(銀河)などに見立てた。また向月台は、砂を円錐の形に盛って、上部を水平にならしたもの。高さは約百八十センチある。画家の岡本太郎は、向月台を満月に見立てた。

一。当初案には、なぜ両庭とも、満月がなかったのか?

二。思いがけないハプニングとは何か?

先達の奇想天外
47「火剋金」説
……火の力で金(言葉)を排除
47「火剋金」説

石庭を「火剋金の庭」に見立てる。陰陽五行説に基づいて、民俗学者の吉野裕子(一九一六〜二〇〇八)が提唱した。火剋金とは、火が金に打ち勝つ原理をいう。

 

陰陽五行説では、順送りに相手を生み出して行く陽の関係を相生といい、「木生火、火生土、土生金、金生水、水生木」の五種類がある。これに対して、順送りに相手を打ち滅ぼして行く陰の関係を相剋といい、「木剋土、土剋水、水剋火、火剋金、金剋木」の五種類がある。

 

一。吉野裕子がいう火とは何か?

二。なぜ金(言葉)を排除しなければならないのか?

先達の奇想天外
48「十六羅漢遊行」説
……一人の羅漢が諸国を遊行
48「十六羅漢遊行」説

「十六人の羅漢のうち、一人が諸国を遊行(行脚)しているため、龍安寺には十五人の羅漢が残っている。石庭に配置された十五の石は、残った十五人の象徴」と考える。つまり、十六から一を引くと、十五になることに注目した。

 

十六羅漢とは、釈迦の弟子たちのうち、仏法の護持に尽力した十六人の羅漢(尊者、聖者)をいう。十六羅漢は平安時代には天台宗の護持者とされた。鎌倉時代になると宗派を超えて広まり、禅宗では修行者の理想の姿として仰がれるようになった。

 

一。石庭を抜け出して、諸国を遊行している羅漢とは誰か?

先達の奇想天外
49「碧巌録に示された臥龍」説
……龍の有処と無処に着目
49「碧巌録に示された臥龍」説

十五の石を「臥龍」の姿に見立てる。臥龍とは臥している龍のこと。作庭家で庭園研究者の澤田天瑞(一九二八〜二〇〇八)が、論文「龍安寺庭園の構想について」で提唱した。

 

石庭に十五の石を置いた根拠は、「祖英集──答忠禅者」に記された、「一字七字三五字、萬像窮め來るも據となさず」。一字は「数字の一」。七字は「数字の二と四」を意味する。これは、二と四の画数を合計すると七になるため。三五字は「数字の三と五」。

 

すなわち、「一字七字三五字」とは、数字の「一、二、三、四、五」を意味。転じて、宇宙の骨格(森羅万象)を示す、生数(一、二、三、四、五)の和「十五」を指す。

 

石庭に臥龍を置いたとする根拠は、「碧巌録第十八則──慧忠国師無縫塔、頌の評唱」に記された、「臥龍止水を鑒みず、無処には月有って波澄み、有処には風無うして浪起こる」。

 

一。「無処には月有って波澄み」とは何を意味するのか?

 

二。「有処には風無うして浪起こる」とは何を意味するのか?

先達の奇想天外
50「中国の金山寺と五台山」説
……日本僧が訪れた歴史的な名刹
50「中国の金山寺と五台山」説

 石組を中国の「金山寺」に見立てる説と、「五台山」に見立てる説がある。中国では古来、陰陽五行説の影響で泰山(東岳)・華山(西岳)・衡山(南岳)・恒山(北岳)・嵩山(中岳)の五岳を崇拝してきた。その五岳が、金山寺と五台山に姿を変えたことになる。

 

少し紛らわしいのは、金山寺から東南に約二百キロ離れた、浙江省杭州の天目山の東北峰にある大寺、「径山寺(きんざんじ)」である。中国に「きんざん」と発音する山には金山と径山があり、区別するために前者を「かね(金)きんざん」、後者を「こみち(小径)きんざん」と呼んだ。

 

径山寺は、唐の代宗の勅命により七六九年に建立され、臨済宗の大道場があった。そして、径山寺味噌の製法は、この寺から伝えられたものといわれる。しかし、径山寺味噌は「きんざんじみそ」と読むため、いつしか「金山寺味噌」と誤解されてしまった。

 

今日では、辞書を引くと、「金山寺味噌は、和歌山県、千葉県、静岡県等で生産されている味噌の一種。なめ味噌の一種。径山寺味噌とも書く」とある。まさに、主客が転倒したかたちである。

 

一。五岳、金山寺、五台山。石庭をどれに見立てるべきなのか?

先達の奇想天外
51「五と仏教を結ぶ」説
……五仏、五智五仏、他
51「五と仏教を結ぶ」説

石庭に置かれた五つの石組を「仏教にまつわる五の世界」と対比させる。「五仏」説、「五智五仏」説、「禅宗の京都五山」説などがある。

 

五山とは政府が住持を任命する五つの官寺をいい、禅宗寺院では最上の寺格を示す。建武年間(一三三四─三八)に、第一南禅寺(大徳寺と同格)、第二東福寺、第三建仁寺、第四建長寺、第五円覚寺と制定されたのが、全部の名前が判明する最初の五山。

 

その後、将軍や天皇の就任に合わせて何度か入れ替わったが、応永十七年(一四一〇)以降は、足利義満が定めた南禅寺、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺という序列が長く定着した。

 

「禅宗の京都五山」説は少しややこしい。五山と称しても、実際には六山あるからだ。

 

一。石庭の五つの石組は、六山とどう対応するのか?

先達の奇想天外
52「十五と仏教を結ぶ」説
……十五宗、十五尊観音、他
52「十五と仏教を結ぶ」説

石庭に置かれた十五の石を「仏教にまつわる十五の世界」に見立てる。「十五宗」説、「十五尊観音」説、「十五童子」説、「十五大寺」説がある。

 

一瞬、「あるいは」と思わせるのが、禅宗の「臨済宗十五寺派」説である。十五寺の名前と開山を列挙する。建仁寺(明庵栄西)、東福寺(円爾弁円)、建長寺(蘭渓道隆)、円覚寺(無学祖元)、南禅寺(無関普門)、国泰寺(慈雲妙意)、大徳寺(宗峰妙超)、妙心寺(関山慧玄)、天龍寺(夢窓疎石)、永源寺(寂室元光)、向嶽寺(抜隊得勝)、方広寺(無文元選)、相国寺(春屋妙葩)、仏通寺(愚中周及)、興聖寺(虚応円耳)。

 

一。「臨済宗十五寺派」説は、なぜ「あるいは」と思わせるのか?

十五の石、四十の花、五十五の心
53「源氏物語を彩る十五人の女君」説
……紫式部と石庭をつなぐ縁
53「源氏物語を彩る十五人の女君」説

龍安寺石庭の作者が、源氏物語の作者である紫式部に敬意を表して、石庭に並ぶ十五の石を「光源氏を彩る十五人の女君」に見立てた、とする。

 

源氏物語には多くの女君が登場するが、十五人に絞り込むとすると、次の顔触れがふさわしい。藤壺中宮、葵の上、紫の上、明石の方、花散里、女三宮、空蝉、軒端荻、夕顔、末摘花、源典侍、朧月夜、朝顔の姫君、六条御息所、筑紫の五節。

 

一。「禁断の恋」の相手だった藤壺中宮を、どの石に見立てるのか?

 

二。「最愛の女性」だった紫の上を、どの石に見立てるのか?

 

三。女君たちを嫉妬し禍をもたらした六条御息所を、どの石に見立てるのか?

十五の石、四十の花、五十五の心
54「花の公案」説
……世阿弥『風姿花伝』の創造力
54「花の公案」説

石庭をめぐって多数の説が生まれた理由を、「十五の石」で石庭の骨格をつくり、「四十の花」で石庭に命を吹き込み、「五十五の心」で石庭を包み込んだため、と考える。

 

その背景には、陰陽五行説「生数と成数の世界観」と、世阿弥の能楽論書『風姿花伝』に記された「花の公案」がある。

 

世阿弥は『風姿花伝』において、能楽の極意を、「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」とした。この言葉を受けて、龍安寺石庭の主テーマを「秘すれば花の庭」としたため、多くの「謎」を内包した庭が生まれたとする。

 

一。「花の公案」とは何か?

 

二。「禅の公案」と「花の公案」は、どのような関係にあるのか?

 

三。「夢幻空花」とは何か?

十五の石、四十の花、五十五の心
55 読者への挑戦
……この庭に新たな心探すべし
55 読者への挑戦

石庭に「十五の石」が置かれているからには、必ず「五十五の心」が隠されているに違いない。

 

一。五十五番目の新たな心は、読者自身に探していただきたい。